空海と最澄、それぞれの目指す仏教とは

空海を研究する会

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空海と最澄、それぞれの目指す仏教とは

空海は天台宗・最澄は真言宗、日本史の授業で習いそのまま暗記したことでしょう。彼らは共に同じ時期に唐に渡り仏教を学び、日本の仏教の礎となる平安仏教を広めた人物です。親交があった時代もあるものの別離し対照的な道を歩んだ彼ら、それぞれどのような人物だったのでしょう。

 

同じく遣唐使となったものの、実は最澄の方はすでにその時代に注目を集めていたエリート僧だったのに対して空海の方は全くの無名だったようです。ちなみにそれぞれ38歳・31歳の頃でした。

 

共に行って帰ってきたというわけではなく、空海は2年間唐にいました。そこで梵語を習得し完璧に密教をマスターして、多くの経典や曼荼羅・法具と共に日本へと戻ってくるのです。一方の最澄はたった1年しか期限がなく、主に天台の教えを中心に学んでいます。そのため密教については充分とは言えず、帰国後に年下で無名だったはずの空海の弟子となって教えを請うしかなかったのです。何しろその当時の日本は密教の呪術納涼に注目が集まっていたのですから仕方がありません。とはいえ、経典の貸し借りのことや弟子を巡って意見の相違も多くなり、二人の関係は途切れてしまうこととなるのです。交友を持っていた期間は、たったの10年ということなのです。

 

その後、最澄は晩年まで徳一という人物と教理の解釈を巡る論争に明け暮れながらもそのまま生涯を終えることとなります。それを継いで弟子達が密教の協議を完成させるためにまい進し続けたおかげで、今もなお天台宗は衰えることなく発展をつ受けています。比叡山は仏教の総合センター的なものに、彼の弟子だった円仁は浄土念仏も取り入れるなどしているのです。

 

一方で空海自身は高野山や東大寺に道場を開いて、精力的に真言宗を広げていきました。ただあまりにも彼が偉大すぎ完璧だったがゆえに後継者には恵まれず、その教義は彼以上には深められてはいないのです。とはいえ今もなお続いている真言宗、やはりそれだけ素晴らしい教えだったということでしょう。

 

同じように唐で学んできた二人の僧侶、でもどれくらいの期間をかけて勉強したのか・日本での日々によって全く異なる2大勢力となっています。そんな二人が教師と先生となっていた時代があったというのは面白いものです。自身の方がエリートとして崇められているのになぜ年下の彼から教えてもらわなければならないのか、最澄さんの側の忸怩たる思いも伝わってくることでしょう。