空海が開いた日本を代表する聖地高野山

空海を研究する会

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空海が開いた日本を代表する聖地高野山

高野山は和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町に存在し、日本仏教における聖地の1つと認識されています。日本で最も多くの人々がお参りする巡礼地の一つであると、16世紀に来日した宣教師ルイス・フロイスが述べており、2004年7月には紀伊山地の霊場と参詣道としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 

世界文化遺産に登録された高野山は、弘法大師である空海が、816年に真言密教の根本道場を開くため嵯峨天皇から賜りました。空海は774年に現在の香川県である讃岐国多度郡に生まれ、15才になると上京して史学や漢学を学び、18才には都の大学の明経科で儒教や中国の古典を学んでいます。

 

大学は儒教中心に学ぶ官吏養成機関であったため、奈良の勤操大徳から仏教の教えを学び、793年に和泉国槇尾山寺で出家しました。出家し僧名は教海となりましたが、後に東大寺戒壇院で具足戒を授かり空海と改めています。名を改めた後経典等を読んでいましたが、梵語が理解しにくいということで、804年に遣唐使の第一船に乗船し、唐に渡りました。

 

唐の都長安では、第七祖青龍寺恵果阿闍梨から密教の大法を授けて頂き、遍照金剛の名を与えられ第八祖となります。

 

唐に渡った2年後となる806年に日本に帰国し真言密教を広めます。真言密教とは、悟りに達するには時間と修行が必要になりますが、手に印を結び真言を唱えると、本来持っている仏のになることができる本性が現れ、悟りを得ることができる教えと考えて間違いありません。

 

教えを広めるため812年に高雄山寺で金剛界結縁潅頂を開壇し、817年に弟子達が高野山金剛峯寺の創建に取り掛かりました。創建に取り掛かった翌年には空海がはじめて高野山に登っており、819年には魔障を入れないよう七里四方に結界を結び、修行者が修行するための閑静な場所を用意するため伽藍建立に着手しています。

 

建立ははかどらず完成した建物はわずかとなり、当時の建築物は現在は存在していません。現在は、曼荼羅の思想に基づいて創建した壇上伽藍や総本山である総本山金剛峯寺、要文化財等の展示や保存が行われる高野山霊宝館や空海の御廟が存在する奥の院等が存在します。

 

奥之院には慰霊碑や供養塔も存在し、民族や宗教の違いに関わらず全てを受け入れており、日本国内だけではなく世界中の人々が数多く訪れています。世界的に有名な某旅ガイド日本版では、優れた観光地として三つ星を獲得しています。