空海が日本中に残した数々の伝説

空海を研究する会

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空海が日本中に残した数々の伝説

空海は、土佐室戸岬の御厨人窟で修行時に「明星」が口に飛び込んできた伝説があり、その後海と空しか見えない御厨人窟で修行し続けたことから空海と名乗ったとされています。

 

彼は、29歳の時の遣唐使は悪天候で断念したしただけでなく翌年の遣唐使では海賊に間違われる運の無さを見せますが、804年8月10日の入唐から僅か9カ月で密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚から密教の奥義伝授を開始されたとされています。

 

彼は、6月に大悲胎蔵の学法灌頂を受けるだけでなく7月の金剛界の灌頂と8月に伝法阿闍梨位の灌頂を続けて授けられ、異例とも言える遍照金剛の灌頂名を与えられた中国でも伝説的な人物です。彼は、恵果和尚が入定し密教の全てを学び取ったので20年の予定を2年に短縮して日本に帰国しますが、帰国に際し恵果和尚から授かった密教法具三鈷杵密教を広めるのにふさわしい地に導きますように」と願いを込めて日本へ投げました。

 

飛行三鈷杵は、現在の壇上伽藍横の三鈷の松に引っかかっていたとされ、現在の場所に総本山金剛峯寺が建立された伝説が残っています。また、高野山にも多くの伝説が残されており、奥の院の「玉川の魚」や「姿見の井戸」などが有名です。

 

玉川の魚は、玉川で採取した魚を焼いて食べようとしていた山男から小魚を買い取り川に返すと生き返ったとされ、小魚には串で刺された跡が斑点として残っているとされるとともに山内の人はこの魚を食べないとされていると不思議な話です。

 

姿見の井戸は、覗き込んで自分の姿が水面に映らない場合には3年以内の寿命が尽きるとするとされていますが、本来は病を患っていた扶閑中納言の夢に現れた弘法大師が「我が山の霊水を飲めば病は速やかに治りましょう」と告げられるとともに実際に治癒から「薬井」と呼ばれる井戸です。

 

空海は、ミシュランガイドにも掲載されている「高尾山」でも足跡を残されており、昭和39年に東京都の天延記念物に指定された樹齢700年の杉が「箸立杉」や「飯盛杉」と呼ばれています。飯盛杉は、落雷によって枯れてしまった杉であり、一本だけ枯れている杉に気づいた空海が周りの杉から事情を聞き1枚の飯盛りの杓子を枯れ木の跡に突き立てて蘇らせたとされる杉です。

 

空海は、北海道松前の「阿吽時の不動明王」から鹿児島県の「大師芋」まで日本全国津々浦々行脚しているので伝説も数え切れないほどあり、1つ1つ辿ることで大師も功績の大きさや神霊ごとき存在であったことを実感させられます。