菩提の道場
伊予国・愛媛県
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縁起 天平年間(729‐49)聖武天皇が諸国に一の宮を造られた時、この近くに伊予一国一の宮神社が建てられその別当寺として創建されました。その後数度の洪水によって堂塔は荒れ果てましたが、天養2年(1144)に再建されましたので、その年号にちなんで天養山と改めました。 弘法大師が四国巡行の際、この地に止まられ、光明皇后のお姿に象って十一面観音像を刻み本尊として第62番の霊場に定められました。 この折、国司、越智氏の夫人が難産で苦しんでいたので境内に「玉の井」を掘り、その水を加持して夫人に与えたところ男の子を安産しましたので玉澄と命名されました。この言い伝えから本尊は安産の観音様として今も広く信仰されています。 その後、寺運は栄えましたが天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の際には戦火によって堂塔をほとんど失いました。 さらに明治初年の廃仏毀釈で廃寺となりましたが同10年に再興され、大正10年には予讃線開通のため境内を駅へ譲って現在地に移転しました。 |
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