菩提の道場 伊予国・愛媛県


第五十三番 須賀山 正智院 円明寺




縁起

聖武天聖の勅願によって行基菩薩が阿弥陀如来像を刻み、伽藍を和気の海岸に建立して如来像を安置し、海岸山・円明寺と名付けたのがはじまりといわれます。 のちに弘法大師がこの地を訪れ、第53番の霊場に定められました。 その後、寺運は栄えましたが、たび重なる兵火によって広大な堂塔のほとんどが焼失し、寛永10年 (1633)にこの地の豪族須賀重久が現在のところへお寺を再興しました。さらに3年後には仁和寺の末寺となり、その時山号を須賀山に改め、円明寺となりました。 観音堂には十一面観音か安置されていますが、この像は、慶長5年 (1600)松山城主、加藤嘉明が関原の戦に出陣中、前の国主河野家の遣臣が集まって主家再興の兵を挙げました。 しかし、この計画が事前にもれて加藤家の夜褒でほとんどが戦死しましたので、河野家を慕う地元の人が追善供養のため、ひそかに安置したものといわれます。 このお寺には慶安3年(1650)に京都から来た平人家次という人の名の刻まれた同製の納札が保存されています。

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