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青竜寺は唐の長安城の新昌坊に位置し、密教の有名な寺院であった。この寺院は隋の開皇二年(582)に建立されたものである。
初めは霊感寺と称されたが、唐の武徳四年(621)から、一時退廃したが、唐の竜朔二年(662)観音寺として再建されたが、唐の景雲二年(771)青竜寺と改称された。空海のころ青竜寺は、恵果阿闍梨が別当で、当時の密教の重要な道場の一つとして最盛を極めた。密教を求める僧侶が国内外から訪れた。日本からは「入唐八家」のなかの六家(空海、円行、円仁、恵運、円珍、宗睿)が前後にして青竜寺で密教を学んだ。
唐の会昌五年(845)全国的に廃仏事件が起こり、その際青竜寺も廃棄され、皇家の内園となった。その翌年の五月に再び寺院として復活し護国寺と名づけられた。北宋の元祐元年(1086)以降次第に荒廃し、ついに廃虚となり地上から消えてしまった。
中華人民共和国成立後重要文化遺跡に指定され発掘調査が行われた。