
梵鐘の音 宇摩皇子
『不倫と密教』
昨今、不倫と言う言葉を多く耳にする。それで会社を辞めたとか、家庭不和になったとか、行き着く先は身の破滅である。何故そうと知りながら人は不倫に走るのだろうか?
ここでは『愛情』(心の持ち方)について考えてみることにする。
密教の経典に『りしゅきょう理趣経』がある。その中に 『愛清浄句是菩薩位(あいせいせいくしほさい)』男女の愛欲肉欲は本来清らかなるものにしてぼさつ菩薩の境地である。と言う一節がある。
仏とは悟った人、目覚めた人。菩薩とは仏となるために修行して、もうすぐ仏に成れる人。
つまり、人間性を高める上において愛欲は否定出来ないものと言っている。何の意味も分からずこれを聞くと、とんでもない解釈をされる恐れがあるため、密教各宗派は、ある程度修行を積んだ者でないと『理趣経』は伝授しないと言う。
ここで、空海上人の唱えた真言密教の基本『そくしんじょうぶつ即身成仏』を紹介する。
『即身成仏』とは、生きているこの世この身で仏となる。悩み、苦しみ、欲望全てを肯定して悟った人となる。そんなことが出来るのか?
上人の理論を要約すると、「人の心はさまざまに変化する。悩み苦しみ欲望は人として生まれた以上免れ得ないもの。これを否定することは、色のない景色と同じである。人は仏の教えに出会ったとき、自分が救われたいと思い、また自分も人も救われたいと思う。その時、愛欲もまた菩薩の位となり、人は仏の位に達する。」と説いている。
不倫とは、辞書を引くと、「男女が越えてはならない一線を越えること。姦通。」とある。
配偶者のある身で他の異性に恋愛感情を持ったとしたら、姦通が無くても「愛欲」であろう。
家庭は壊したくない、でも他の異性を愛したい。この人間本来の欲望をどのようにしたらよいのであろうか?
こんなふうに考えてみてはどうだろう。
「愛情」を恋愛感情の持たない「愛情」に価値観をかえるのです。
思い出してみて下さい。過去に交際した異性と今もなお連絡がありますか?ほとんどが過去のことで終わってはいませんか?けれどもクラスメイトや部活動の先輩や後輩はどうでしょう。月日が経っても「あの頃」と同じように「仲良し」であることが多いのではないでしょうか。
恋愛感情を持って終わったものは、その一時の快楽は得ることが出来たかもしれませんが、同時にいやなものをも見てしまい、結局すれちがって何も残らないと思います。がしかし、「好ましい」という感情は、良い部分しか見ないことの方が多いですから、清らかなままで人間関係を継続することが出来ると思います。
つまり、異性を愛することは否定せず、必ず一線を引いて、「恋愛感情」を「好ましい」という感情に価値観を変えてみるのです。それは相手を「男・女」として見ないということかもしれません。
そうすれば、相手が悩み苦しんでいいる時は相談に乗ってあげたり、また、自分が悩み苦しんでいる時は相談に乗ってもらうことが出来ると思います。我々の身近な職場内においては、良いコミニュケーションになると思います。
それはまた、仏となる(人間性を向上させる)上において清らかなるものとなり、重要なものとなるのではないでしょうか。
『愛清浄句是菩薩位』とは、「愛欲は否定せず、価値観を変えることによって本質そのものが清らかなるものとなり、また、悟った人となる過程において重要ものとなる。」と言う意味にとらえることが出来ます。
従って、人は同時に複数の異性を愛することが出来ます。それはまた本来清らかなるものであり、『不倫』と言う言葉はこの世からは無くなるはずです。
ただし、セックスしか頭に無い人、身の破滅にご用心!